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2009年12月29日火曜日

2009年の映画・・・保留中

タル・ベーラの倫敦から来た男を観ていないというか圧倒的1位説があるから、観ていない今の状況じゃかけないから観てから、一応整理します。

あと、個別のレビューでは『脳内ニューヨーク』『サイドウェイズ(・・・)』
『マラドーナ』がまだかけていない。

サイドウェイズはともかくとして、脳内とマラドーナはかなりよかったのでちゃんと書きたいのだけど、書く事が膨大にありすぎてかけていない。

ちなみにマラドーナを撮ったエミール・クストリッツァは今年日本では『ウェディングベルを鳴らせ(名前がしょぼい)』も公開されている。この2作のギャップがすごすぎる。当然、ジャンル違いのモノを撮っているから当たり前だけど。

マイケル・ウィンターボトムのハチャメチャぶりを観ているよう。

いやでも『マラドーナ』はよかった。サッカー人としか観ていない人が多いだろうけど、チェ・ゲバラが南米ではマリアの肖像についで、最も普及しているという意味を考えた上で観ると非常に興味深い。

カストロに関する書籍を読んでいると、よくマラドーナが出てくる。
ある意味南米では現人神っていう意味がよりわかったきがした。

ということで、後日。

2009年12月21日月曜日

RIP Brittany Murphy


Spun (Kiss Scene)
Uploaded by the_ocoro. - Sitcom, sketch, and standup comedy videos.

ブリタニー・マーフィー死んでしまいましたか。
このシーンがすごく好きです。

SPUNという映画がどうこうよりもこの映画のこのシーン。
常時、ハイになっているブリタニー・マーフィーが一瞬だけ
正常に戻るシーンがここ。

そうですか、お亡くなりになられましたか。
2000年代映画の名シーンというエントリーを作っていたのだけど
当然、このシーンも候補に。

残念です。

2009年10月4日日曜日

空気人形



空気人形 @シネマライズ

是枝監督の作品久々に観ました。
今年の邦画に西川監督の『ディアドクター』がある限りそれを
越えるものはないというのが現時点の感想だけど。

日本映画界はなんだか明るいなぁと最近思います。

というのも、ファンタジーや寓話を美しく描ける監督がちゃんといる
ということ。

是枝監督といえば『誰も知らない』をはじめ、一貫してヒューマニズム
の根底みたいなのを問いかけているなぁと思う。

ただの物質としての空気人形。
心を持ったとき何がみえたのか。

都会の孤独。田舎にいるときよりもずっと感じるこの感覚。

田舎に比べて何倍もの人口がいるのに、孤独を感じるっていうのは
とても不思議な感覚。

亀の井の中谷さんが当時由布院地区の合併に反対した理由を空間が広がって
ただ人口が増え、人々の関係性が希薄になるからと言っている。

別にこの説明がなくとも、東京をはじめ大都市の人間関係の希薄さは
共通認識というか、そう言うものだと捉えられているものだから今更なんだが。

ただ、この後に湯布院で開催される映画際に言及している点がとてもこの映画に
ふさわしいと勝手に思った。

地域のブランド力とは、土地固有の価値であると同時に、他所からの評価である。だから、町の『内』と『外』の呼吸が重要なわけです。こういう動きを本当の風景というのでしょう。景観は単に見える景色ですが、『風景』は生命を表現しています。


『風景』は生命を表現している。

この映画のロケーションは恐らく芝地区をはじめ江東区の古い町並みと高層マンション群あたりと推測するんだけど、映像がとにかく『風景』なわけです。

いわゆる『風景』。

有楽町線(新木場にでる瞬間)とか臨海線のっているとこの地域の無機質ぶりに驚くのだけど、この映画その中でちゃんと命あるモノをちゃんと表現している。

空っぽの孤独な人間と心をもった空気人形。

吉野弘の『生命は』より

生命は
自分自身だけでは完結できないようにつくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫が風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする
生命は
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ
世界は多分
他者の総和
しかし
互いに欠如を満たすなどは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときにうとましく思うことさえも許されている間柄
そのように
世界がゆるやかに構成されているのはなぜ?
花が咲いている
すぐ近くまで
虻の姿をした他者が
光をまとって飛んできている

私も あるとき
誰かのためだけの虻だったろう

あなたも あるとき
私のためのかぜだったかもしれない


とその風景をと遠巻きに撮影される風景でぺさんがこの詩を朗読する。

映画全体として観るとんーと思いもするが、カットごとにとても
すばらしく何か満たされるものがある。

原作ありで脚本書くとはめずらしいと思ったし、何よりこのストーリー
で2時間ものってどういうモノなのだろっと興味津々でいったわけだが
よかったです。是枝監督っぽくもあり、なくもあり。

ファンタスティックでポエトリー。
都会の孤独をうとましく思う方にはお勧めです。

世界は多分
他者の総和
しかし
互いに欠如を満たすなどは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときにうとましく思うことさえも許されている間柄


この部分は孤独という概念のある意味でのテーゼだろうと思う。

2009年7月12日日曜日

前エントリーの続き

横浜聡子監督の次回作

ではなく前作の上映

ジャーマン + 雨


でした。タブーを地で行く感じがすごい。

Director 西川美和 :横浜聡子

Dear Doctor

普段、邦画をみないけれど、西川監督の作品は本当にしびれるものがある。
当然、現代においても映画監督という業が男性中心で女性監督の視点でというのが
珍しいというのもある。

ただ、西川監督のおもしろいところは男女というストリーテリングをしないこと。
どちらかというと、ちょっと男っぽい作品だなという印象がある。

かつて、Esquireでのインタビューで西川監督自身が恋だの愛だのといった分野
はどうしても苦手意識があって手が出せないと話していた。

でも、当然なんだけど「恋だの愛だの」というテーマは男女という全く別の生き物
だからこそ、女性視点が少ない中では強烈なインパクトを残せるし、話題にはなりやすい。

勝負しているのがそこじゃないところがいいし、西川監督はアメリカ映画に育てられた
と自身で言っている通り、ヨーロッパ的影響があまりみられない。

前段で、男っぽい作品と書いたのは、ラブストーリーのような女性的感覚が最大限活かされるものを扱っていないのと、無口な感じこそなんだと思う。
心理描写や風景の構図何をとっても女性的というのが少ない。

つまるところ、男女の境目無くして作品として素直にすばらしいなぁという感想を持てるということ。

今作においては、プロダクションノートにある通り、人から見えている自分と自分で思っている自身は実は違うのではないかという点から着想したとある。

そうあるように物語はそう進む。ただ、非常に興味深いのは僻邑をそのテーマとシンクロさせているところ。

当然、そのテーマがうまく描かれているのはもちろんのこと、それ以上に「僻邑」の描き方が非常にすばらしかった。(当然ながら僻地の雇われ医師の奮闘記でもない。)

先週、ちょうど東北の秋田県にいって(秋田市からローカル線とローカルバスで2時間位の場所)、感じたことと映画がリンクしていたのでなおさらそう思った。

村社会と古来から伝承されたきたシステムが崩壊して久しいけれど、当然、それは現代社会のシステムとの乖離が大きくなったからこそ、そういった現状がある。

それは、ちょうどドラッカーの著書「断絶の時代」が未来を予言していた通り、産業構造も人の流れも、情報もすでに異なる次元に来てしまったことが一つの原因だと思う。

都会と田舎という構図じゃないないし、昨今の映画(特に田舎をテーマにした)は、そういった点を必要以上に美化している。田舎は美しいと田舎にこそ日本人の心があると。ただ、そこには何もリアルなものはない。

美しいものも、醜いものも都会と同様にそこにはあるし、もっと言ってしまえば何か遠い未来の日本の縮図が田舎なのではないかと。都会では当然醜いものが沢山あるけれど、誰でもそれは見なかったことにできる。それができないのが田舎だし、遠くない将来、都会でもそれはきっとできなくなる。(はず。)

映画の話しに戻れば、西川監督は必要以上に田舎の人間を美化していないというよりも、ずっと醜いものを見せていた気がする。

きっと、映画を観てもらえばわかると思う。

あと、特筆すべきは、笑福亭鶴瓶と八千草薫をキャストに向かえて、なおその二人を活かす(二人が監督を活かすとも言えるのかもしれないが)その力量だと思う。単純に長編3本目?にして、それはすごいとただただ思ってしまった。

とにかく、すばらしい映画だったと思う。


前作、ゆれる



ウルトラミラクルラブストーリー


これはすごいね。このドタバタな感じ。
松山ケンイチの喋る津軽弁(?)は映画が始まってすぐは耳がなれなくてほとんど放送事故レベルに等しいくらい何を言っているのかわからなかった。

シンプルな映像だから、すごさはかけるけどストーリー展開といい、最後のドタバタな感じはポール・トーマス・アンダーソンの「パンチドランクラブ」や「マグノリア」を思い起こさせる。

批評家とか、映画監督が結構好きそうなというかこれをできる人がメジャーな日本監督に何人いるかという意味ではすごいし、何より邦画が最も不得意とするファンタジーを織り交ぜたストーリーが新鮮だった。

ここでポール・トーマス・アンダーソンの話を敢えて書いたのは、西川監督の所で書いたインタビューで気になる監督に彼を挙げていた。

西川監督と横浜監督は全く異なる性格の持ち主であることは間違いない。

予告でみたけど、横浜監督の次回作が半端ない感じだった。

そもそも、両監督見る前から、女性監督だし、きっと好対照だなと思っていたのと、予告を観た時点で圧倒的に異なるこの個性を観ねばと思い二作を観て見ました。

まだ観ていない方は映画館で観ましょう。