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2009年10月4日日曜日

空気人形



空気人形 @シネマライズ

是枝監督の作品久々に観ました。
今年の邦画に西川監督の『ディアドクター』がある限りそれを
越えるものはないというのが現時点の感想だけど。

日本映画界はなんだか明るいなぁと最近思います。

というのも、ファンタジーや寓話を美しく描ける監督がちゃんといる
ということ。

是枝監督といえば『誰も知らない』をはじめ、一貫してヒューマニズム
の根底みたいなのを問いかけているなぁと思う。

ただの物質としての空気人形。
心を持ったとき何がみえたのか。

都会の孤独。田舎にいるときよりもずっと感じるこの感覚。

田舎に比べて何倍もの人口がいるのに、孤独を感じるっていうのは
とても不思議な感覚。

亀の井の中谷さんが当時由布院地区の合併に反対した理由を空間が広がって
ただ人口が増え、人々の関係性が希薄になるからと言っている。

別にこの説明がなくとも、東京をはじめ大都市の人間関係の希薄さは
共通認識というか、そう言うものだと捉えられているものだから今更なんだが。

ただ、この後に湯布院で開催される映画際に言及している点がとてもこの映画に
ふさわしいと勝手に思った。

地域のブランド力とは、土地固有の価値であると同時に、他所からの評価である。だから、町の『内』と『外』の呼吸が重要なわけです。こういう動きを本当の風景というのでしょう。景観は単に見える景色ですが、『風景』は生命を表現しています。


『風景』は生命を表現している。

この映画のロケーションは恐らく芝地区をはじめ江東区の古い町並みと高層マンション群あたりと推測するんだけど、映像がとにかく『風景』なわけです。

いわゆる『風景』。

有楽町線(新木場にでる瞬間)とか臨海線のっているとこの地域の無機質ぶりに驚くのだけど、この映画その中でちゃんと命あるモノをちゃんと表現している。

空っぽの孤独な人間と心をもった空気人形。

吉野弘の『生命は』より

生命は
自分自身だけでは完結できないようにつくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫が風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする
生命は
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ
世界は多分
他者の総和
しかし
互いに欠如を満たすなどは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときにうとましく思うことさえも許されている間柄
そのように
世界がゆるやかに構成されているのはなぜ?
花が咲いている
すぐ近くまで
虻の姿をした他者が
光をまとって飛んできている

私も あるとき
誰かのためだけの虻だったろう

あなたも あるとき
私のためのかぜだったかもしれない


とその風景をと遠巻きに撮影される風景でぺさんがこの詩を朗読する。

映画全体として観るとんーと思いもするが、カットごとにとても
すばらしく何か満たされるものがある。

原作ありで脚本書くとはめずらしいと思ったし、何よりこのストーリー
で2時間ものってどういうモノなのだろっと興味津々でいったわけだが
よかったです。是枝監督っぽくもあり、なくもあり。

ファンタスティックでポエトリー。
都会の孤独をうとましく思う方にはお勧めです。

世界は多分
他者の総和
しかし
互いに欠如を満たすなどは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときにうとましく思うことさえも許されている間柄


この部分は孤独という概念のある意味でのテーゼだろうと思う。

2009年7月6日月曜日

総合カルチャー雑誌

Esquireに続きSTUDIO VOICE休刊。

STUDIO VOICEに関しては一瞬戦略かと思ったけど・・・。

次はBRUTUSか。

全然ターゲット違うし、微妙に扱うテーマが違うけど
Esquireの3万の読者とSTUDIO VOICEの3万の読者の向かう先が気になる。

確かに、カルチャー雑誌に関しては個別に専門雑誌があるから
もはや総合である必要がないのかもしれない。

この3誌のセグメントって大分前に崩壊していたと言えばそうなのかもしれない。

にしても、BRUTUSは案外しぶいような。