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2010年12月31日金曜日

LOST WORLD なまはげと失われた世界

今年もなまはげに会いに男鹿へと思っていたが、祖母が急逝したので親族のもとへは
なまはげはこないことになる。

家族に不幸があった場合、なまはげは3年間その家には入らないから。

祖母が亡くなる、ちょうど一ヶ月前に男鹿にいったのだけど、祖母がこんなことを言っていた。

この3年の掟について

「昔は、ハタハタ漁が不漁だったり、身内に不幸があったときその家ではなまはげに入ってもらっていた。」

もはや、この真偽を確かめる術は限られているのだけれど・・・祖母の言ったことはこの3年の掟よりもずっと理に適うと思っている。

なまはげは来訪神の意味合いが強いとされている。

通説では次の通り
「年の折り目に神が来臨して人々に祝福を与えるという古態をとどめ、我が国古来の民間信仰の一形態を示すもの」とされている。

そのルーツとしても、自然信仰や神道、仏教、その他もろもろの伝説や習俗が織成した寓話が今に残っているのものだと思う。

この地域に残る伝説で、なまはげの始まりとされるものの一つに「武帝の五鬼」説っていうのがある。

他の言い伝えの中で、正直これが最も信憑性にかける説ではあるけれど、もっとも人間的な部分がこの伝説にはる。そして、それが口述伝播の際に昔から好んで使われたのもよくわかる。

五鬼伝説の内容は割愛するけれど、五匹の鬼は家族で、内2匹が両親で3匹が子供。

この土地に五鬼が来た後すぐに両親の2匹の鬼は死んでしまったそうな。
その供養として3匹の子供の鬼がなまはげ行事を始めたとさ。

他の自然信仰説や修験者説、異邦人説なんかよりもずっとロマンがあって、寓話としても受け入れることができる。

何よりも祖霊供養っていうのは、原始的な信仰の中でも、神道、仏教的意味合いでも崇高なものだから。

なまはげがなんなのかという議論はほとんど意味をなさないまでも、こういうことを感じることができる心はいつまでも残っていてほしい。

祖母の通夜の席で、世代や血縁の遠近を問わず「なまはげ」をキーワードに一つの会話が成り立つというのを知ったとき、この行事の本当のすばらしさを初めて知ったような気がする。

この土地に関係のあるすべての人々にとって、なまはげを想うこととは、我々の祖霊と繋がる一つの共通方法であり、共通項であり続けてほしい。



● 吉田三郎 『男鹿寒風山麓農民手記』昭和10年 より 引用

15日の夜が来ると前に面を作った場所に集合し、午後6時ごろまでにちゃんと準備をする。このなまはげの面をつける人は、若者の中で至って頑丈な、しかもいくらでも酒を呑める者で、交代でそのなまはげの役割をもつのです。(中略)先ず最初の3人が扮装に着手する。

  第1に大きな藁沓をはく、第2にケダシを腰に一つ、肩に一つ巻きつける。次はミノを著る(ままる:着る)。第3に鬼面を被る。第4に鍬台か、出刃包丁かあるいは、トゲのあるタラの木の棒を各一つづつもち、これで完全になまはげの扮装は出来るのである

 (中略)こんどは愈々村端れの家から尋ね回ることである。むらの幾組かのなまはげが必ず示し合わせて一緒にならぬようにする。何処の家でも最初に来たなまはげを一番なまはげ、二番目に来たなまはげを二番なまはげ、三番目に来たなまはげを三番なまはげとそれぞれ称える。一番なまはげは男鹿の真山、本山の方から、二番なまはげは太平山の方から、三番なまはげは八郎湖のほうからスガ(氷)を渡って来ると申している。

 さて愈々家に入るときは、なまはげの従者10人でも20人でもの若い者は、一緒に声を合わせて、ウォーウォーと奇声をあげて、なまはげを家にいれてやる。家に入ったなまはげは3人共腰や肩に巻きつけたケダシを一挙一動にガサガサと音を立てつつ、手にした兇器を振り回し土間の内の板や戸にわざとらしく打ちつけて音を立て、3人声を合わせて、ウォーウォー、と奇声をあげつつ其処の家の主人の居る所に行く。そしてなまはげは太い声で「新年お目出度ふ」と年調を述べる。すると主人は「なんとご苦労様だった」と言うと、「オー」と返事をする。


主人
「何の方面から参りました。」

なまはげ 
「真山本山の方から。」

主人
「お名前は何と申し。」

なまはげ 
「ナベノフタトテノシケ」

主人  
「おお、ご苦労様だった。」

なまはげ
「オー」

 其処で主人とこうした挨拶がかわされてからまた、なまはげはまた立ちあがる。そして、やはりケダシをガサガサさせ兇器を振り回して、愈々本舞台に入る。

なまはげ
「ウォーウォーここのエで泣く子がいだが、いねが。三太が泣くが。お春が泣くが。親の言うことをきくが、きがねが。ウォーウォー若し泣いたり親の言うごときかねば貰ってゆく。ウォーウォー何処にいだ。ウォーウォー」

 こうして三人のなまはげは座敷であろうが、物置であろうが、押入れであろうが、二階であろうが、梁であろうが、どんどん捜し求めます。もしも子供や初嫁や初婿でも見つかったらそれこそ大変だ。子供はとんきょな声を出して泣き叫ぶ。それでもけつをひねってやる。子供はあー痛いと泣き叫ぶ。気の弱い子供は一時気絶さえすることが珍しくない有様です。初嫁などは又子供のように声を出さないで無言でなまはげに対抗してくる。けれどもなまはげにはかなわない。モンペの諸などきらされて、暗い押入れの中で痛いほどけつをひねられたり、また言うに言われぬまじないごとをされるのである。こうした場面が終わるとなまはげはまた主人のとこに戻ってくる。すると主人は酒肴と餅の用意をしているから

主人 
さぁなまはげど、なまはげど。おい三太やお春やまた読めなどは泣きもしないし、朝寝もしな い。よーくとそりのいうこときくから、ごめんしてやって先ず一杯やってくれ。」

なまはげ
「それではごめんしてやるか。」

と言いお膳に座る。そして主人はおおきな飯茶碗になみなみと濁酒をついで飲ませるのである。その間又主人となまはげの間に問答が始まる。

主人  
「なまはげど。今夜何処にとまるか。」

なまはげ
「ウォーウォー。おらはお宮のウド木にとまる。」

主人  
「なんぼ日とまる心算でしか。」

なまはげ
「ウォー。そうだ。おらは四日も五日もとまるが、おらの子分が年から年中居る。だから何時でも、三太やお春が泣いたりとそりのいうこときがねがたり、又嫁が我侭をしたりしたら、おれひ、ひば何時でも来て、貰ってゆくから。ウォー」

主人  
「ナマハゲど。ナマハゲど。ひば、泣く子貰って行って何とするしか。」

なまはげ
「ウォー。それは今持て来た叺に入れてゆって、お宮に行ってから、火を焚き五尺もある串に尻から頭まで刺して焙って食うのだ。」

といって一杯の濁酒をぐっと呑み干してけたたましく去ってしまうのである。荷物背負い男はなまはげが去ってから叺を持って来て、大きな餅を二枚貰って帰るのである。持ちのない家即ち百姓以外の家では銭をくれます。

2010年3月1日月曜日

なまはげの真実



これは男鹿市相川地区のなまはげ。30~40年前の写真。
祖母にどうせだからもっていけといわれたのでもらった。

一般化されてなんの面白みもないお面をPRするのはやめてもいいのではないか。
秋田県の観光政策はともかくとして、男鹿市は少なくともやめるべき。

岡本太郎のなまはげに関する考察

岡本太郎はナマハゲを見て、次のように直感した。
「秋田ほど東京から遠いところはない、という感じはある。雪の壁は深く、ここには別の時間が流れているようだ。(中略)だが私はこのような、いわばとり残されたところに、古くから永遠にひきつがれて来た人間の生命の感動が、まだなまのまま生き働いているのではないかと思った。たとえば〈なまはげ〉の行事などに」
「〈なまはげ〉自体はそもそも鬼なのかどうか、問題がある。それはあらゆる原始的な人間社会に見られる〈霊〉のあらわれである」
「私が〈なまはげ〉にひかれたのは、第一にそのお面だった。(中略)大たい日本のお祭りの面などが、とかくしらじらしくこまっちゃくれているのに、底抜け、ベラボーな魅力。古い民衆芸術のゆがめられない姿だ」
(岡本太郎が撮影した芦沢地区のナマハゲは、『岡本太郎が撮った「日本」』(毎日新聞社)、『岡本太郎の東北』(毎日新聞社)、『岡本太郎神秘』(二玄社)に掲載されている)

via Toshibon's Blog 『これがなまはげだ!

これにははげしく同感。

2009年9月23日水曜日

Dialog in The Dark


Dialog in The Dark行ってきました。

ちょっと高いけど、とてもよかったです。
ドイツっぽいというか、まさにドイツですね。

何がよかったっていうと、いかに視覚に頼っているかがわかるところ。
そして、唯一完璧に100%の純度でなくすことのできる感覚。

だから、他の感覚に全てを委ねるのだけど、突然他の感覚が、いかに普段眠っているかをたった60分暗闇にいるだけで実感できてしまう。

嗅覚も触覚も聴覚も視覚がないだけで、こうも違うかとかなり驚いた。

よくTVなんかでボックスの中身を当てるとか、目隠しした状態で何を食べているかをあてる企画があるけどあの感覚。

暗闇の概念がかなり変わる。ある意味で盲目になる準備ができた。
本当に盲目になったら・・・だけど、絶望するほどでもないのかもしれないと本当に思った。

記憶やイメージ。視覚というのはすごいなぁと改めて思った反面、この感覚がなければ世界はもっと違って見えるのかななんて思いました。

これはお金払ってでも行く価値が十分にあるので是非行ってみてください。

同じグループになった女性グループは、その中の1人への誕生日プレゼントだといっていたけど、かなりセンスのいいプレゼントだと思う。

お勧めは仲違いしている友人、家族、恋人といくこと(笑)
個人的にやってみたい。

大地の芸術祭





大地の芸術祭。にいってきた。

実態がなんなのかわからずに誘われるがままに。
確かにいろいろリサーチをしてからいってもよかったなとも思うのだけど
こういうのは、基本的よくわからないまま行ったほうがよい。

新潟県十日町近辺で開催されているわけだけど、半径20kmに数百と点在
するアート作品があるので一日ではまず全て観るのは不可能。

ということで、足早に数点を見るに留まった。
ただ、今回はというかいつもだけど、アートそれ自体を見るつもりは毛頭なく
、それも変な話だけど・・・とにかくどのように運営されているかがあくまで興味の中心。

福武氏恐るべしというか。
いっちゃ悪いが何の変哲もないこの地に国内外問わずアート作品を集めるその実力はさすがと言うほかない。

ここでとにかく重要なのはこの町だけではこの規模のものは集まるはずがなく、そして新潟県の作家を集めたってこんなにおもしろいものはつくれないということ。

表現としてのアートというよりはどちらかというと目的あってのものだから
ある意味純粋な枠組みの芸術というよりは、どちらかというとデザインに近い感覚なのかもしない。

アーティストの性分とか本質とかそう言うのはさておき、受け取る側にはどうなのかというところを書いていく。

今回素直に思ったのは十日町エリアいいところだなぁと言うところ。
何の変哲もないただの農村なんだけれど、でもそのよさは十分にわかった気がする。
このアートイベントが何で、どういったことを意味するかということよりもずっと大切なことだと思う。

というのも、すでに一緒にいった方が書いているけど“どこかにアートがあるかわからなず、あんでもそう見えてしまう”という感じ。

感覚的にどんな物でも、それっぽく見えてしまうというのが意図してかしてないか別として


セントルイスからシカゴまでの道のりは大きなハイウェイで行くのだけど、その横にはルート66が昔のまま残っている。

“残っている”といっても全て残っているわけではなく、点在している。

どこかで切れて、また突然現れるという感覚。

それに似ている。現れてはなくなりの繰り返し、ただ標識や看板を目印に探して行く。
あのドキドキに近い。

それで思うのだけど、やっぱりロケーションありきということ。
米どころでもあるこの土地は山に囲まれている。だから平野の田んぼではなく棚田がほとんど。ランドスケープがとにかく美しい。

そういった中に突然アートが現れる。廃校や廃屋、田んぼのど真ん中に。

全てを観たわけでもなく、ほんの一握りの作品しか観れなくても満足感がある。
アートというよりもデザイン的一面がとても強いように思える。というのも作品の多くがとても示唆的というか、この村の歴史やなんであるかを題材にしていたように思う。

別の過疎の町で、土地の人と話したことがあって“結局こういう過疎の町では、自分たち(その町について)について知ろうともしないし、興味もない”と嘆いていたのを思い出した。

でも、果たしてそうなのか。

確かに知ろうとしない、興味を持たないというのはそうなのかもしれないけれど、知るきっかけを誰も示せていないだけではと思う。

多くの町で思うのだけど、そこに存在した歴史というのは案外部外者にとってみればおもしろいもので(こう思うのは自分だけかもしれないが)、そういうのを何かで示せたらいいなといつも思う。

伝統文化も廃れた町も全て、人々が何かに気づくときには、多くの場合は手遅れになった後のことが多い。

伝えることのできる人が年を取り過ぎていたり、すでに亡くなっていて資料や現物しかなかったり。

当然、多くの問題となるのは地域の人の関わりなのだけど。まず、自分たちが気づかない限り外から来た人がどうしたって何も変えることも、本質的なよさも伝えられない。

だからこのイベントでとにかくうまいなぁと思ったのはそういうのを地元の人にも示唆できるものが沢山あったこと。地域の参加レベルは残念ながらといところだけど直島なんかより見せ方はうまいなと思った。

そして、なにより福武氏なんだけど、すごいなと思わせるのはメディア露出と協賛に関わっている企業の多さ。

このイベントの知名度なんてメディア露出したところで大したことないし、そういう情報がリーチしている都会の“アートな人”からすれば「へー」ってところかもしれないけど、地域の人にとっては自分たちの町が取り上げられることってうれしいことじゃないかなと。(しかもこういったものがなければ全国的にフォーカスされる町ではないことを考えれば)

こうやってブログで書く人もいるだろうし、興味を持つか、持たないかはともかくとして知覚する可能性が広がるわけだし。

結局、一緒に行った人は、自分も含め↓がとても気に入っていた。
最後の教室
クリスチャン・ボルタンスキー+ジャン・カルマン







なんか、高校の文化祭の展示を思い出す。
【少年の部屋】

2009年7月13日月曜日

反転の続き



三鷹天命反転住宅

これはある意味すごいね。
ショートステイできるとはどういうことなんだろう。

仲介業者R不動産を露骨に意識していないか。

Roadside Japan 東日本編



長崎の軍艦島に始まり、産業遺産や軍事遺産というのは人気がある。

青山監督が北九州市を映画で描くように、アルトマンがヴェンダースがビュートに興味を
持ったように、何かが人々をひきつける。

ヴェンダースはそういった場所を「ナンセンスな場所」と呼ぶけれど本当にそうだなと。

Roadside Japan 東日本編を古本屋で見つけて読んだのだけど、非常に興味深い。

ハウステンボスやチボリ公園をはじめ割と日本国内じゃ有名なテーマパークでさえ運営が厳しいといわれているのに、この本にのっているテーマパーク、秘宝館、各種ヘンテコ博物館(中には真っ当な物もある。)は今どうなっているのだろうか。

この不況のあおりを受けて一斉淘汰もありえると思うのだけど、ある種、現代日本の民俗学的一面を映し出しているようにも思える。

この本に掲載されているのは、そのほとんどが観光遺産。
戦後の高度経済成長期からバブル崩壊までに作られたものがほとんど。

当時の日本人と言えば働きすぎな民族と世界的に揶揄されていたことや、レジャー産業の発展の歴史がごく最近であることからも、この観光遺産がものがたるものは大きいのかもしれない。

今から考えれば、どう考えたってこんなもんつくらないよと思うけど、体験型レジャーや時間消費型レジャーなんてものが本当に注目されたのはごく最近だし、今の中国を見ればわかるけどレジャーの定義はみることにあったことからも、なぜこんなものつくったんだというのがわかる気がする。

そもそもその発想しかなかったのだから。

国の光を観ること=観光であるならば、このちょっと不思議な日本のダークサイドを観ることは、今だからこそ受け入れられるのかもしれない。


いっても普通に面白いなと思ったのが↓
岐阜 養老天命反転地
群馬群馬県立自然史博物館
北海道 穂別地球体験館
栃木 栃木県防災館

うわぁーーと思ったのが
北海道 滝野霊園
栃木 那須ロイヤルセンター(今は無き)
栃木 鬼怒川ウエスタン村(休園)
静岡 蝋人形美術館(本によるとマイケルジャクソンの等身大の蝋人形があるとか。本人を採寸・・・)

こうやってみると明らかに大型温泉保養地に集中しているのがわかる。
那須・鬼怒川・伊豆・熱海は特に。

興味深い。

2009年7月5日日曜日

温泉Party : 別府 VS Blue lagoon

Iceland Airwaves 09


VS

別府現代芸術フェスティバル「混浴温泉世界」

ベップダンス


別府も面白いがやはりアイスランド。
10月開催でみんな裸で踊っているのがすごい。アイスランドですよ。
DJはもちろん厚着。

これずーっと気になっている。いつか行きたい。