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2011年8月4日木曜日

七夕-仙台

先週、友人の結婚式出席のため仙台に帰っていたのだけど
何次会かをへて仙台駅で夜明けを眺めていてふと思った。

七夕飾りって下からみるとどうなのって。

これ完璧に岩井俊二監督の『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?
がたまたま、岩井俊二公式サイトで期間限定で公開されていて、ふと思った。

仙台にいたときは、もうじゃまでしょうがなかった七夕飾りだけどこうしてみると
意外ときれいだなと思う。

結果は以下の通り。

















ぜひぜひ、仙台に足を運んでみてきてください。
はっきりいって早朝に独占するのが、仙台人の楽しみ方だと思ってます。

仙台七夕まつり:8月6日~8月8日

仙台七夕まつりは動きがないから、面白くないということを東北の夏祭りの中でも
よく言われるけど、唯一時間を選ばず見れることが魅力です。

動きがないわりに日本のお祭りの動員数ランキングでは常にTOP10に入るわけです。
仙台のアクセスのよさもあるとは思うけれど。

だから、思う存分独占きてください。

どうぞ、仙台をよろしくお願いします。

2011年2月20日日曜日

Toro y Moi - Underneath the Pine


Toro y Moi(Chaz Bundick)
Phot blog:Poor&Lonely

Phot blogのタイトルがPoor&Lonely・・・。

セカンドについてはアルバムのタイトルどおりの色調。ごく私的に・・・ただただ甘美。
このアルバムどう流通では処理するのだろう。

以下の野田努のレビューには共感。
"グッド・ホールド"~"エリス"へと続くアルバムの最後は、愛の気配のみに支配されたチルアウトである。(dommune.com


Underneath the Pine





Causers of This

2011年2月13日日曜日

Deo Optimo Maximo

James Blake - James Blake

震えながら、泣いた。

2010年12月31日金曜日

LOST WORLD なまはげと失われた世界

今年もなまはげに会いに男鹿へと思っていたが、祖母が急逝したので親族のもとへは
なまはげはこないことになる。

家族に不幸があった場合、なまはげは3年間その家には入らないから。

祖母が亡くなる、ちょうど一ヶ月前に男鹿にいったのだけど、祖母がこんなことを言っていた。

この3年の掟について

「昔は、ハタハタ漁が不漁だったり、身内に不幸があったときその家ではなまはげに入ってもらっていた。」

もはや、この真偽を確かめる術は限られているのだけれど・・・祖母の言ったことはこの3年の掟よりもずっと理に適うと思っている。

なまはげは来訪神の意味合いが強いとされている。

通説では次の通り
「年の折り目に神が来臨して人々に祝福を与えるという古態をとどめ、我が国古来の民間信仰の一形態を示すもの」とされている。

そのルーツとしても、自然信仰や神道、仏教、その他もろもろの伝説や習俗が織成した寓話が今に残っているのものだと思う。

この地域に残る伝説で、なまはげの始まりとされるものの一つに「武帝の五鬼」説っていうのがある。

他の言い伝えの中で、正直これが最も信憑性にかける説ではあるけれど、もっとも人間的な部分がこの伝説にはる。そして、それが口述伝播の際に昔から好んで使われたのもよくわかる。

五鬼伝説の内容は割愛するけれど、五匹の鬼は家族で、内2匹が両親で3匹が子供。

この土地に五鬼が来た後すぐに両親の2匹の鬼は死んでしまったそうな。
その供養として3匹の子供の鬼がなまはげ行事を始めたとさ。

他の自然信仰説や修験者説、異邦人説なんかよりもずっとロマンがあって、寓話としても受け入れることができる。

何よりも祖霊供養っていうのは、原始的な信仰の中でも、神道、仏教的意味合いでも崇高なものだから。

なまはげがなんなのかという議論はほとんど意味をなさないまでも、こういうことを感じることができる心はいつまでも残っていてほしい。

祖母の通夜の席で、世代や血縁の遠近を問わず「なまはげ」をキーワードに一つの会話が成り立つというのを知ったとき、この行事の本当のすばらしさを初めて知ったような気がする。

この土地に関係のあるすべての人々にとって、なまはげを想うこととは、我々の祖霊と繋がる一つの共通方法であり、共通項であり続けてほしい。



● 吉田三郎 『男鹿寒風山麓農民手記』昭和10年 より 引用

15日の夜が来ると前に面を作った場所に集合し、午後6時ごろまでにちゃんと準備をする。このなまはげの面をつける人は、若者の中で至って頑丈な、しかもいくらでも酒を呑める者で、交代でそのなまはげの役割をもつのです。(中略)先ず最初の3人が扮装に着手する。

  第1に大きな藁沓をはく、第2にケダシを腰に一つ、肩に一つ巻きつける。次はミノを著る(ままる:着る)。第3に鬼面を被る。第4に鍬台か、出刃包丁かあるいは、トゲのあるタラの木の棒を各一つづつもち、これで完全になまはげの扮装は出来るのである

 (中略)こんどは愈々村端れの家から尋ね回ることである。むらの幾組かのなまはげが必ず示し合わせて一緒にならぬようにする。何処の家でも最初に来たなまはげを一番なまはげ、二番目に来たなまはげを二番なまはげ、三番目に来たなまはげを三番なまはげとそれぞれ称える。一番なまはげは男鹿の真山、本山の方から、二番なまはげは太平山の方から、三番なまはげは八郎湖のほうからスガ(氷)を渡って来ると申している。

 さて愈々家に入るときは、なまはげの従者10人でも20人でもの若い者は、一緒に声を合わせて、ウォーウォーと奇声をあげて、なまはげを家にいれてやる。家に入ったなまはげは3人共腰や肩に巻きつけたケダシを一挙一動にガサガサと音を立てつつ、手にした兇器を振り回し土間の内の板や戸にわざとらしく打ちつけて音を立て、3人声を合わせて、ウォーウォー、と奇声をあげつつ其処の家の主人の居る所に行く。そしてなまはげは太い声で「新年お目出度ふ」と年調を述べる。すると主人は「なんとご苦労様だった」と言うと、「オー」と返事をする。


主人
「何の方面から参りました。」

なまはげ 
「真山本山の方から。」

主人
「お名前は何と申し。」

なまはげ 
「ナベノフタトテノシケ」

主人  
「おお、ご苦労様だった。」

なまはげ
「オー」

 其処で主人とこうした挨拶がかわされてからまた、なまはげはまた立ちあがる。そして、やはりケダシをガサガサさせ兇器を振り回して、愈々本舞台に入る。

なまはげ
「ウォーウォーここのエで泣く子がいだが、いねが。三太が泣くが。お春が泣くが。親の言うことをきくが、きがねが。ウォーウォー若し泣いたり親の言うごときかねば貰ってゆく。ウォーウォー何処にいだ。ウォーウォー」

 こうして三人のなまはげは座敷であろうが、物置であろうが、押入れであろうが、二階であろうが、梁であろうが、どんどん捜し求めます。もしも子供や初嫁や初婿でも見つかったらそれこそ大変だ。子供はとんきょな声を出して泣き叫ぶ。それでもけつをひねってやる。子供はあー痛いと泣き叫ぶ。気の弱い子供は一時気絶さえすることが珍しくない有様です。初嫁などは又子供のように声を出さないで無言でなまはげに対抗してくる。けれどもなまはげにはかなわない。モンペの諸などきらされて、暗い押入れの中で痛いほどけつをひねられたり、また言うに言われぬまじないごとをされるのである。こうした場面が終わるとなまはげはまた主人のとこに戻ってくる。すると主人は酒肴と餅の用意をしているから

主人 
さぁなまはげど、なまはげど。おい三太やお春やまた読めなどは泣きもしないし、朝寝もしな い。よーくとそりのいうこときくから、ごめんしてやって先ず一杯やってくれ。」

なまはげ
「それではごめんしてやるか。」

と言いお膳に座る。そして主人はおおきな飯茶碗になみなみと濁酒をついで飲ませるのである。その間又主人となまはげの間に問答が始まる。

主人  
「なまはげど。今夜何処にとまるか。」

なまはげ
「ウォーウォー。おらはお宮のウド木にとまる。」

主人  
「なんぼ日とまる心算でしか。」

なまはげ
「ウォー。そうだ。おらは四日も五日もとまるが、おらの子分が年から年中居る。だから何時でも、三太やお春が泣いたりとそりのいうこときがねがたり、又嫁が我侭をしたりしたら、おれひ、ひば何時でも来て、貰ってゆくから。ウォー」

主人  
「ナマハゲど。ナマハゲど。ひば、泣く子貰って行って何とするしか。」

なまはげ
「ウォー。それは今持て来た叺に入れてゆって、お宮に行ってから、火を焚き五尺もある串に尻から頭まで刺して焙って食うのだ。」

といって一杯の濁酒をぐっと呑み干してけたたましく去ってしまうのである。荷物背負い男はなまはげが去ってから叺を持って来て、大きな餅を二枚貰って帰るのである。持ちのない家即ち百姓以外の家では銭をくれます。

2010年7月31日土曜日

YOUNG BLOOD

The Naked and Famous - Young Blood

The Naked and Famous — Young Blood from Special Problems on Vimeo.



The Naked and Famous
MySpace

シングルは相変わらずすごいミュージシャン発掘しまくっているNeon Gold Recordsから
Neon Goldのレビューにもある通り、Passion Pit“Sleepy Head”、MGMT“Kids"、The Temper Trap“Sweet Disposition”に匹敵、もしくは超えるアンセムになるんだろう。

Special ProblemsによるこのPVもすばらしい。ある意味、これをリアルで聴く若い世代(10代)はすごく幸せだなと思う。

この周辺の音楽には世代の違いというか時代が変わったのをすごく感じる。

当時、The HivesやTheLibertinesを聴きながらわくわくしたり、RadioheadのKidsを聴きながら鬱屈とした日々を過ごしたり・・・。そういうのと比べるとこの世代の音楽って当時の音楽と全く違って、中性的だし、すごくまっすぐで煌き(笑)がある。

もし、夏休み前にこのアンセムを手に入れたらと思うとグッとくる。刹那で、甘くて、切ないこの音を聴きながら友達に、好きな人になんて声をかけただろう。

2010年夏のアンセム間違いなし。
2008年夏のMGMTや冬のPassion Pitの登場なんかよりもずっと衝撃を受けた一曲。

これ聴きながら老若男女ともに刹那な夏をたのしみましょう。

2010年4月15日木曜日

蕎麦文化の美学



基本的に蕎麦は好きだし、西日本にはうどん文化があるように東日本
には蕎麦文化がある。日本に京都があってよかった並に『蕎麦文化』が
あってよかったと思う。

ラーメン哲学とかそう言うのないし、蕎麦哲学とかウンチクみたいなのが
あるわけじゃないけど、蕎麦文化は東京にいると本当その奥深さがわかる。

あえて“東京”とつけるけど、蕎麦文化は東京のものだと思う。
蕎麦の食文化は当然東日本に広くあると思うし、東京にいながらも
蕎麦はやっぱり信州がうまいとか山形がうまいという人が沢山いるから
それも一つの真実だと思うのだけど、昼のピークを過ぎた当たりにいく
東京の蕎麦屋は最高です。

蕎麦はウンチクかたりながら食べるより、そのお店の雰囲気の中で
ゆっくりと楽しむものだと思う。というかウンチク語りながら
蕎麦を食べる人とは蕎麦は食べたくない。

蕎麦“ウンチク”はもうその手の情報が沢山あるから割愛すると
して、『そばもん』を紹介したい。

このマンガすごく勉強になる。ウンチクをみにつけるというより
蕎麦文化のルーツがどうやってできた等初歩的な部分で参考に
なる。

当然、蕎麦文化の成り立ちは諸説あるので、これが真にして正当
とは当然ながら一概に言うことはできないけど、所謂
藪系、砂場系、更級系のだしの特徴とかがストーリ仕立てでわかり
やすく書いてあるし、特に正当な江戸蕎麦に対する誤解を解こう
という姿勢にはとても好感をもてる。

『趣味蕎麦』とも揶揄されることがあるけれど、ちゃんと老舗に
足を運んでみると、歴史と文化の奥深さを感じられる。

静かな佇まいながら、店にはいると湯気が黙々たって蕎麦職人
がもくもくと作業をしている。はつらつとした女性店員が蕎麦を
通す声。

オルタナティブにはないとても美しい風景がそこにある。

平日に休んでいく蕎麦屋は最高の幸せだと思う。

このマンガ適当に1巻だけ買ったのだけど、結構深いので即
3巻まで購入。

一話完結なので別に続けて買わなくてもいいのだけど
イタリア人シェフVS蕎麦職人の出汁問答は非常に興味ぶかい。

醤油と出汁とみりんこれだけで、店ごとのオリジナリティを
だすってのも他国の食文化と比べて特出しているかがわかる。

シンプルだからこそ、それが全てを物語ると。
フレンチだって、タマネギだけをつかったムースがあったり
それはそれで深さを感じるけど、私はやはり日本人なので。

ということで、激プッシュ。蕎麦哲学が確立しているという
方は読む必要はないかと。

蕎麦再考には役立つ本かなと思う。
あぁ、蕎麦屋行きたい。なんかフラッとじゃなくて
ちゃんと蕎麦を食いにいこうというのを最近ぜんぜんやっていない。
ずっと行こうと思っていっていない十番の更科堀井に近々いこうかな。





2010年3月1日月曜日

なまはげの真実



これは男鹿市相川地区のなまはげ。30~40年前の写真。
祖母にどうせだからもっていけといわれたのでもらった。

一般化されてなんの面白みもないお面をPRするのはやめてもいいのではないか。
秋田県の観光政策はともかくとして、男鹿市は少なくともやめるべき。

岡本太郎のなまはげに関する考察

岡本太郎はナマハゲを見て、次のように直感した。
「秋田ほど東京から遠いところはない、という感じはある。雪の壁は深く、ここには別の時間が流れているようだ。(中略)だが私はこのような、いわばとり残されたところに、古くから永遠にひきつがれて来た人間の生命の感動が、まだなまのまま生き働いているのではないかと思った。たとえば〈なまはげ〉の行事などに」
「〈なまはげ〉自体はそもそも鬼なのかどうか、問題がある。それはあらゆる原始的な人間社会に見られる〈霊〉のあらわれである」
「私が〈なまはげ〉にひかれたのは、第一にそのお面だった。(中略)大たい日本のお祭りの面などが、とかくしらじらしくこまっちゃくれているのに、底抜け、ベラボーな魅力。古い民衆芸術のゆがめられない姿だ」
(岡本太郎が撮影した芦沢地区のナマハゲは、『岡本太郎が撮った「日本」』(毎日新聞社)、『岡本太郎の東北』(毎日新聞社)、『岡本太郎神秘』(二玄社)に掲載されている)

via Toshibon's Blog 『これがなまはげだ!

これにははげしく同感。