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2011年8月4日木曜日

七夕-仙台

先週、友人の結婚式出席のため仙台に帰っていたのだけど
何次会かをへて仙台駅で夜明けを眺めていてふと思った。

七夕飾りって下からみるとどうなのって。

これ完璧に岩井俊二監督の『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?
がたまたま、岩井俊二公式サイトで期間限定で公開されていて、ふと思った。

仙台にいたときは、もうじゃまでしょうがなかった七夕飾りだけどこうしてみると
意外ときれいだなと思う。

結果は以下の通り。

















ぜひぜひ、仙台に足を運んでみてきてください。
はっきりいって早朝に独占するのが、仙台人の楽しみ方だと思ってます。

仙台七夕まつり:8月6日~8月8日

仙台七夕まつりは動きがないから、面白くないということを東北の夏祭りの中でも
よく言われるけど、唯一時間を選ばず見れることが魅力です。

動きがないわりに日本のお祭りの動員数ランキングでは常にTOP10に入るわけです。
仙台のアクセスのよさもあるとは思うけれど。

だから、思う存分独占きてください。

どうぞ、仙台をよろしくお願いします。

2011年2月20日日曜日

Toro y Moi - Underneath the Pine


Toro y Moi(Chaz Bundick)
Phot blog:Poor&Lonely

Phot blogのタイトルがPoor&Lonely・・・。

セカンドについてはアルバムのタイトルどおりの色調。ごく私的に・・・ただただ甘美。
このアルバムどう流通では処理するのだろう。

以下の野田努のレビューには共感。
"グッド・ホールド"~"エリス"へと続くアルバムの最後は、愛の気配のみに支配されたチルアウトである。(dommune.com


Underneath the Pine





Causers of This

2011年2月13日日曜日

Deo Optimo Maximo

James Blake - James Blake

震えながら、泣いた。

2010年12月31日金曜日

LOST WORLD なまはげと失われた世界

今年もなまはげに会いに男鹿へと思っていたが、祖母が急逝したので親族のもとへは
なまはげはこないことになる。

家族に不幸があった場合、なまはげは3年間その家には入らないから。

祖母が亡くなる、ちょうど一ヶ月前に男鹿にいったのだけど、祖母がこんなことを言っていた。

この3年の掟について

「昔は、ハタハタ漁が不漁だったり、身内に不幸があったときその家ではなまはげに入ってもらっていた。」

もはや、この真偽を確かめる術は限られているのだけれど・・・祖母の言ったことはこの3年の掟よりもずっと理に適うと思っている。

なまはげは来訪神の意味合いが強いとされている。

通説では次の通り
「年の折り目に神が来臨して人々に祝福を与えるという古態をとどめ、我が国古来の民間信仰の一形態を示すもの」とされている。

そのルーツとしても、自然信仰や神道、仏教、その他もろもろの伝説や習俗が織成した寓話が今に残っているのものだと思う。

この地域に残る伝説で、なまはげの始まりとされるものの一つに「武帝の五鬼」説っていうのがある。

他の言い伝えの中で、正直これが最も信憑性にかける説ではあるけれど、もっとも人間的な部分がこの伝説にはる。そして、それが口述伝播の際に昔から好んで使われたのもよくわかる。

五鬼伝説の内容は割愛するけれど、五匹の鬼は家族で、内2匹が両親で3匹が子供。

この土地に五鬼が来た後すぐに両親の2匹の鬼は死んでしまったそうな。
その供養として3匹の子供の鬼がなまはげ行事を始めたとさ。

他の自然信仰説や修験者説、異邦人説なんかよりもずっとロマンがあって、寓話としても受け入れることができる。

何よりも祖霊供養っていうのは、原始的な信仰の中でも、神道、仏教的意味合いでも崇高なものだから。

なまはげがなんなのかという議論はほとんど意味をなさないまでも、こういうことを感じることができる心はいつまでも残っていてほしい。

祖母の通夜の席で、世代や血縁の遠近を問わず「なまはげ」をキーワードに一つの会話が成り立つというのを知ったとき、この行事の本当のすばらしさを初めて知ったような気がする。

この土地に関係のあるすべての人々にとって、なまはげを想うこととは、我々の祖霊と繋がる一つの共通方法であり、共通項であり続けてほしい。



● 吉田三郎 『男鹿寒風山麓農民手記』昭和10年 より 引用

15日の夜が来ると前に面を作った場所に集合し、午後6時ごろまでにちゃんと準備をする。このなまはげの面をつける人は、若者の中で至って頑丈な、しかもいくらでも酒を呑める者で、交代でそのなまはげの役割をもつのです。(中略)先ず最初の3人が扮装に着手する。

  第1に大きな藁沓をはく、第2にケダシを腰に一つ、肩に一つ巻きつける。次はミノを著る(ままる:着る)。第3に鬼面を被る。第4に鍬台か、出刃包丁かあるいは、トゲのあるタラの木の棒を各一つづつもち、これで完全になまはげの扮装は出来るのである

 (中略)こんどは愈々村端れの家から尋ね回ることである。むらの幾組かのなまはげが必ず示し合わせて一緒にならぬようにする。何処の家でも最初に来たなまはげを一番なまはげ、二番目に来たなまはげを二番なまはげ、三番目に来たなまはげを三番なまはげとそれぞれ称える。一番なまはげは男鹿の真山、本山の方から、二番なまはげは太平山の方から、三番なまはげは八郎湖のほうからスガ(氷)を渡って来ると申している。

 さて愈々家に入るときは、なまはげの従者10人でも20人でもの若い者は、一緒に声を合わせて、ウォーウォーと奇声をあげて、なまはげを家にいれてやる。家に入ったなまはげは3人共腰や肩に巻きつけたケダシを一挙一動にガサガサと音を立てつつ、手にした兇器を振り回し土間の内の板や戸にわざとらしく打ちつけて音を立て、3人声を合わせて、ウォーウォー、と奇声をあげつつ其処の家の主人の居る所に行く。そしてなまはげは太い声で「新年お目出度ふ」と年調を述べる。すると主人は「なんとご苦労様だった」と言うと、「オー」と返事をする。


主人
「何の方面から参りました。」

なまはげ 
「真山本山の方から。」

主人
「お名前は何と申し。」

なまはげ 
「ナベノフタトテノシケ」

主人  
「おお、ご苦労様だった。」

なまはげ
「オー」

 其処で主人とこうした挨拶がかわされてからまた、なまはげはまた立ちあがる。そして、やはりケダシをガサガサさせ兇器を振り回して、愈々本舞台に入る。

なまはげ
「ウォーウォーここのエで泣く子がいだが、いねが。三太が泣くが。お春が泣くが。親の言うことをきくが、きがねが。ウォーウォー若し泣いたり親の言うごときかねば貰ってゆく。ウォーウォー何処にいだ。ウォーウォー」

 こうして三人のなまはげは座敷であろうが、物置であろうが、押入れであろうが、二階であろうが、梁であろうが、どんどん捜し求めます。もしも子供や初嫁や初婿でも見つかったらそれこそ大変だ。子供はとんきょな声を出して泣き叫ぶ。それでもけつをひねってやる。子供はあー痛いと泣き叫ぶ。気の弱い子供は一時気絶さえすることが珍しくない有様です。初嫁などは又子供のように声を出さないで無言でなまはげに対抗してくる。けれどもなまはげにはかなわない。モンペの諸などきらされて、暗い押入れの中で痛いほどけつをひねられたり、また言うに言われぬまじないごとをされるのである。こうした場面が終わるとなまはげはまた主人のとこに戻ってくる。すると主人は酒肴と餅の用意をしているから

主人 
さぁなまはげど、なまはげど。おい三太やお春やまた読めなどは泣きもしないし、朝寝もしな い。よーくとそりのいうこときくから、ごめんしてやって先ず一杯やってくれ。」

なまはげ
「それではごめんしてやるか。」

と言いお膳に座る。そして主人はおおきな飯茶碗になみなみと濁酒をついで飲ませるのである。その間又主人となまはげの間に問答が始まる。

主人  
「なまはげど。今夜何処にとまるか。」

なまはげ
「ウォーウォー。おらはお宮のウド木にとまる。」

主人  
「なんぼ日とまる心算でしか。」

なまはげ
「ウォー。そうだ。おらは四日も五日もとまるが、おらの子分が年から年中居る。だから何時でも、三太やお春が泣いたりとそりのいうこときがねがたり、又嫁が我侭をしたりしたら、おれひ、ひば何時でも来て、貰ってゆくから。ウォー」

主人  
「ナマハゲど。ナマハゲど。ひば、泣く子貰って行って何とするしか。」

なまはげ
「ウォー。それは今持て来た叺に入れてゆって、お宮に行ってから、火を焚き五尺もある串に尻から頭まで刺して焙って食うのだ。」

といって一杯の濁酒をぐっと呑み干してけたたましく去ってしまうのである。荷物背負い男はなまはげが去ってから叺を持って来て、大きな餅を二枚貰って帰るのである。持ちのない家即ち百姓以外の家では銭をくれます。

2010年7月31日土曜日

YOUNG BLOOD

The Naked and Famous - Young Blood

The Naked and Famous — Young Blood from Special Problems on Vimeo.



The Naked and Famous
MySpace

シングルは相変わらずすごいミュージシャン発掘しまくっているNeon Gold Recordsから
Neon Goldのレビューにもある通り、Passion Pit“Sleepy Head”、MGMT“Kids"、The Temper Trap“Sweet Disposition”に匹敵、もしくは超えるアンセムになるんだろう。

Special ProblemsによるこのPVもすばらしい。ある意味、これをリアルで聴く若い世代(10代)はすごく幸せだなと思う。

この周辺の音楽には世代の違いというか時代が変わったのをすごく感じる。

当時、The HivesやTheLibertinesを聴きながらわくわくしたり、RadioheadのKidsを聴きながら鬱屈とした日々を過ごしたり・・・。そういうのと比べるとこの世代の音楽って当時の音楽と全く違って、中性的だし、すごくまっすぐで煌き(笑)がある。

もし、夏休み前にこのアンセムを手に入れたらと思うとグッとくる。刹那で、甘くて、切ないこの音を聴きながら友達に、好きな人になんて声をかけただろう。

2010年夏のアンセム間違いなし。
2008年夏のMGMTや冬のPassion Pitの登場なんかよりもずっと衝撃を受けた一曲。

これ聴きながら老若男女ともに刹那な夏をたのしみましょう。

2010年4月15日木曜日

蕎麦文化の美学



基本的に蕎麦は好きだし、西日本にはうどん文化があるように東日本
には蕎麦文化がある。日本に京都があってよかった並に『蕎麦文化』が
あってよかったと思う。

ラーメン哲学とかそう言うのないし、蕎麦哲学とかウンチクみたいなのが
あるわけじゃないけど、蕎麦文化は東京にいると本当その奥深さがわかる。

あえて“東京”とつけるけど、蕎麦文化は東京のものだと思う。
蕎麦の食文化は当然東日本に広くあると思うし、東京にいながらも
蕎麦はやっぱり信州がうまいとか山形がうまいという人が沢山いるから
それも一つの真実だと思うのだけど、昼のピークを過ぎた当たりにいく
東京の蕎麦屋は最高です。

蕎麦はウンチクかたりながら食べるより、そのお店の雰囲気の中で
ゆっくりと楽しむものだと思う。というかウンチク語りながら
蕎麦を食べる人とは蕎麦は食べたくない。

蕎麦“ウンチク”はもうその手の情報が沢山あるから割愛すると
して、『そばもん』を紹介したい。

このマンガすごく勉強になる。ウンチクをみにつけるというより
蕎麦文化のルーツがどうやってできた等初歩的な部分で参考に
なる。

当然、蕎麦文化の成り立ちは諸説あるので、これが真にして正当
とは当然ながら一概に言うことはできないけど、所謂
藪系、砂場系、更級系のだしの特徴とかがストーリ仕立てでわかり
やすく書いてあるし、特に正当な江戸蕎麦に対する誤解を解こう
という姿勢にはとても好感をもてる。

『趣味蕎麦』とも揶揄されることがあるけれど、ちゃんと老舗に
足を運んでみると、歴史と文化の奥深さを感じられる。

静かな佇まいながら、店にはいると湯気が黙々たって蕎麦職人
がもくもくと作業をしている。はつらつとした女性店員が蕎麦を
通す声。

オルタナティブにはないとても美しい風景がそこにある。

平日に休んでいく蕎麦屋は最高の幸せだと思う。

このマンガ適当に1巻だけ買ったのだけど、結構深いので即
3巻まで購入。

一話完結なので別に続けて買わなくてもいいのだけど
イタリア人シェフVS蕎麦職人の出汁問答は非常に興味ぶかい。

醤油と出汁とみりんこれだけで、店ごとのオリジナリティを
だすってのも他国の食文化と比べて特出しているかがわかる。

シンプルだからこそ、それが全てを物語ると。
フレンチだって、タマネギだけをつかったムースがあったり
それはそれで深さを感じるけど、私はやはり日本人なので。

ということで、激プッシュ。蕎麦哲学が確立しているという
方は読む必要はないかと。

蕎麦再考には役立つ本かなと思う。
あぁ、蕎麦屋行きたい。なんかフラッとじゃなくて
ちゃんと蕎麦を食いにいこうというのを最近ぜんぜんやっていない。
ずっと行こうと思っていっていない十番の更科堀井に近々いこうかな。





2010年3月1日月曜日

なまはげの真実



これは男鹿市相川地区のなまはげ。30~40年前の写真。
祖母にどうせだからもっていけといわれたのでもらった。

一般化されてなんの面白みもないお面をPRするのはやめてもいいのではないか。
秋田県の観光政策はともかくとして、男鹿市は少なくともやめるべき。

岡本太郎のなまはげに関する考察

岡本太郎はナマハゲを見て、次のように直感した。
「秋田ほど東京から遠いところはない、という感じはある。雪の壁は深く、ここには別の時間が流れているようだ。(中略)だが私はこのような、いわばとり残されたところに、古くから永遠にひきつがれて来た人間の生命の感動が、まだなまのまま生き働いているのではないかと思った。たとえば〈なまはげ〉の行事などに」
「〈なまはげ〉自体はそもそも鬼なのかどうか、問題がある。それはあらゆる原始的な人間社会に見られる〈霊〉のあらわれである」
「私が〈なまはげ〉にひかれたのは、第一にそのお面だった。(中略)大たい日本のお祭りの面などが、とかくしらじらしくこまっちゃくれているのに、底抜け、ベラボーな魅力。古い民衆芸術のゆがめられない姿だ」
(岡本太郎が撮影した芦沢地区のナマハゲは、『岡本太郎が撮った「日本」』(毎日新聞社)、『岡本太郎の東北』(毎日新聞社)、『岡本太郎神秘』(二玄社)に掲載されている)

via Toshibon's Blog 『これがなまはげだ!

これにははげしく同感。

2009年12月29日火曜日

2009年の映画・・・保留中

タル・ベーラの倫敦から来た男を観ていないというか圧倒的1位説があるから、観ていない今の状況じゃかけないから観てから、一応整理します。

あと、個別のレビューでは『脳内ニューヨーク』『サイドウェイズ(・・・)』
『マラドーナ』がまだかけていない。

サイドウェイズはともかくとして、脳内とマラドーナはかなりよかったのでちゃんと書きたいのだけど、書く事が膨大にありすぎてかけていない。

ちなみにマラドーナを撮ったエミール・クストリッツァは今年日本では『ウェディングベルを鳴らせ(名前がしょぼい)』も公開されている。この2作のギャップがすごすぎる。当然、ジャンル違いのモノを撮っているから当たり前だけど。

マイケル・ウィンターボトムのハチャメチャぶりを観ているよう。

いやでも『マラドーナ』はよかった。サッカー人としか観ていない人が多いだろうけど、チェ・ゲバラが南米ではマリアの肖像についで、最も普及しているという意味を考えた上で観ると非常に興味深い。

カストロに関する書籍を読んでいると、よくマラドーナが出てくる。
ある意味南米では現人神っていう意味がよりわかったきがした。

ということで、後日。

2009年12月28日月曜日

2009年の音楽について

かなり個人的な感想になってしまうけど、とりあえず09年終るし
00年代も終るからエントリしときます。

まず、今年は本当にアルバムを通して聴かなかった。
これはある意味、アーティストに失礼なんだけど・・・。

ということでベストアルバムは選べない。

強いていうなら、Animal Collectiveが1位。
Passion PitもGirlsもYeah Yeah Yeahsもよかったけど、アルバムで選ぶなら
ちょっと。

ちなみに、Mumford and Sonsもかなりよかった。
と、かいていくときりがない。Atlas Soundもよっかたっし、The Whitest Boy Aliveもよかった。あとはThe XX。

かなり死にたくなるけど、Grouperも何だかんだいって結構聴いた。

今年のベストアーティストはSmall Blackです。
当然、ブログ再開時に一番最初のエントリで動画を紹介したToro y moi
Washed Out。この流れはそのまま来年に続くだろうな。

というか認知のされ方が本当に今っぽい。ここら辺のアーティストは
全部RCRD LBL経由だったけど
適当にストリームで聴いたら激震。

Girlsもそう。

RCRD LBLで紹介されているアーティストは基本的に当たり外れ激しいけどあたったときがかなりでかい。

そして、The Hype Machine
これは世界で何が聴かれているかがよくわかる。特にブロガーの情報発信がベースになっていて、辿っていくと結構良質な音楽であえるきがする。かつてはレーベルをっていって探すというのはあったけど、はるかに面白い。

ウォッチしているだけで、たのしい。

Twitterで自分をフォローしてもらっている方々にはかなり迷惑だったと
思うけど、Tweetもできる。もちろん、Facebookにもれんどう。(というか6割がたHype tweet)

いろんな音楽ストリーミングのサイトと同様の機能ではあるけど、各国主要都市の
今聴かれている曲が何かがわかるのも面白い。単純にお気に入り機能でのランキング
とTwitterベースでのいわば口コミランキングにわかれているからいろいろ楽しめる。Last FMみたいにコマ切れでしか音楽ストリーミングできないというかなり悲しい機能を圧倒的に越えているし、マイスペのあの重すぎる感じもない。

今年に限っては、iTunesほとんど使わなかった。

日本で売れたい人にとっては特に意味はないけど、世界を相手にするならこれ地道にやったらマイスペなんかより効果的なのではと思う。

実際、メディアが扱っていない、それこそセルフのアーティストがバシバシ曲をアップしてていつの間にか人気ってのも散見する。

当然、こう言うのは音楽に限らず、動画の世界でも広がってはいるけどやっぱり顕著なのは音楽の領域。

次の十年はどうなっているのだろう。
この十年本当音楽の聴き方、接し方にかんしてはパラダイムシフトが起こったというか多分20年前ではありえなかったことがこの数年で起こった。

自分のようにネットストリーミングで音楽聴いている人ならもうわかるだろうけどもうちょっとモバイルの領域が進化したら、それこそ音楽ビジネスは崩壊するのではなかろうか。というより、どうやってアーティストがちゃんとお金をもらいながら曲作りに専念できる環境ができるかをリスナーが考える時代になったのかもしれない。
そんなのとっくに来ているけど、より・・ね。2010年代はどうなるでしょうか。

2009年12月21日月曜日

RIP Brittany Murphy


Spun (Kiss Scene)
Uploaded by the_ocoro. - Sitcom, sketch, and standup comedy videos.

ブリタニー・マーフィー死んでしまいましたか。
このシーンがすごく好きです。

SPUNという映画がどうこうよりもこの映画のこのシーン。
常時、ハイになっているブリタニー・マーフィーが一瞬だけ
正常に戻るシーンがここ。

そうですか、お亡くなりになられましたか。
2000年代映画の名シーンというエントリーを作っていたのだけど
当然、このシーンも候補に。

残念です。

2009年11月3日火曜日

アンナと過ごした4日間

アンナと過ごした4日間 @ イメージ・シアターフォーラム

これは日経の夕刊で大絶賛されていたから、仕事帰りに
1人で観てきました。そもそもめちゃくちゃ辛口の日経で大絶賛ってなんだ
って思ったのが一つ。

何より久々に純粋なヨーロッパ映画を観た。

色調が暗くて、ストーリーにほぼ山がなく単調なあの感じ。

全くもってテンションがあがらない映画ではあるけれど、
ストーリーはとてもよい。

なんの特徴もない寂れた町で病気がちな祖母と暮らす、陰気で不器用な男
が主人公。ある日看護婦のアンナに恋をして、その日から彼女に気づかれない
ようにそっと見つめ続ける日々が続く。

ある日、釣に出かけた主人公はアンナがレイプされているのを目撃するのだが
見つめ続けたその人がレイプされるのをみて、何もできず立ち竦む。

その場から逃げ出して通報するのだが、釣具を忘れて容疑者になる。
裁判になっても特に否認することなく服役することになった。

っとここまで読んでおもしろいと思った人はいるのかというくらいに
とにかく映像でも単調に描かれる。ただ、このストーリーは映画とは少し
異なるのがタイムライン。

標題の通り『アンナと過ごした4日間』がこの映画のメイン。
最初は諸々突っ込みたくなるのだがまず最後まで観て欲しい。

この服役するまでのストーリーと『アンナと過ごした4日間』、主人公の行動が
タイムラインを隔てて不規則に描かれている。何か夢でも見ているのではないか
といった具合に。

ただただ、表現されているのはもどかしくなるくらい不器用に表現された
『愛』の形。

例えば大島渚の『愛のコリーダ』やトルストイの『クロイツェル・ソナタ』etc.
確かにダイレクトにそれを表現する作品はこの世に沢山あるけれど、ただ見つめるだけ、1センチ先にあるアンナの体にも触れられず・・・。

ある意味すごい世界だし、片想いの真髄がそこにはあるように思える。
頭の中で広がる美しさのとは裏腹にどうしようもないくらい何もできない自分に対する嫌悪と無様さ。

そこであきらめるか、どういうかたちであっても、それを行動にするかは
やはり全く違う。

とりあえず、片想いしている人は観た方がいい。面白い映画じゃないし
例え観たとしても、この映画で勇気をもらえるぞというものでもないけど。

なんか地味過ぎるほど地味だけどとてもいい映画だなと思った。

雪の降る前に



Small Black
Myspace
前回のエントリーのWashed Outつながりで。

最近、ゆらゆらスィングする音楽がばかりだけど、正直言って
“Despicable Dogs”はヘビロテ。

寒さが増すこの時期、やわらかい光の中で揺られながら聴くのは
最高だ。

雪が降る前に、そう必聴です。

Girls6月にエントリーした時は評価が定まらなかったけど
ちゃんとアルバムで聴くとやばいと一言添えておこう。

というか今年初めてまともにアルバム聴いてます。

2009年10月6日火曜日

これ、ちょっとキマシタ。

秋の夜長に。

過去3年間くらいどっかに書いているけど。
秋の夜長にKings of Leonっていうのが自分自身の定番だったわけですが

最近聴いているのは↓

Casiotone For The Painfully Alone

myspace
これはSufjan Stevensと同じChicagoのアーティスト。Sufjanほどやさしくはないけれど、いろいろな音楽を聴いている感じがよい。

Dirty Projectors
とかを何のストレスもなく聴ける人ならいける好きになれるかもしれない。

総じてCasiotone For The Painfully Aloneっぽくない
Hot Boyzって曲がお気に入り。

Nite Jewel

myspace

今更な感じだけど、今更きている。
Suburbia
Weak for Me ここら辺聞いていると、どうしようもない不安に駆られて心地よい。

Exlovers

myspace

Young Lost Club Records
から出している。今年は妙にYALC調子がいいね。
EVERYTHING EVERYTHING, Magic Wands, THE VIRGINS,Noah and the Whale,Loverman
ととにかく数年前に比べて所属アーティストが多様化してる。音もさまざま。当時Arctic Monkeysとか全盛時代はみるからにindie rockなやつらばっかりだった。
これをみると圧倒的に勢いのあるNY以上にLondonおもしろいなと思える。

でExloversなんだけど、YALCの中でも異様に洒落すぎてないか。ちょっと浮いている感じがよい。



Washed Out

myspace

FEEL IT ALL AROUND from Northern Lights on Vimeo.



WESTERN VINYLにふれるとするとGlass GhostJ. Tillmanは秋のこの季節、枕をぬらさずにはいられない。J. Tillmanはもうだめだ。これを聴きながら冬眠したい。

Miike Snow

myspace
Passion Pit,Peter Bjorn & John,Vampire Weekendのremixでも聴いた事があるかもしれないけど、この前に紹介しているがあまりに暗すぎて、この秋自殺してしまうんじゃないかと思ったから、景気づけに最後は上げて終わりにします。
特に↓の2曲は上がる。



まぁ秋ですね。考えることが多くて困ります。

2009年10月4日日曜日

空気人形



空気人形 @シネマライズ

是枝監督の作品久々に観ました。
今年の邦画に西川監督の『ディアドクター』がある限りそれを
越えるものはないというのが現時点の感想だけど。

日本映画界はなんだか明るいなぁと最近思います。

というのも、ファンタジーや寓話を美しく描ける監督がちゃんといる
ということ。

是枝監督といえば『誰も知らない』をはじめ、一貫してヒューマニズム
の根底みたいなのを問いかけているなぁと思う。

ただの物質としての空気人形。
心を持ったとき何がみえたのか。

都会の孤独。田舎にいるときよりもずっと感じるこの感覚。

田舎に比べて何倍もの人口がいるのに、孤独を感じるっていうのは
とても不思議な感覚。

亀の井の中谷さんが当時由布院地区の合併に反対した理由を空間が広がって
ただ人口が増え、人々の関係性が希薄になるからと言っている。

別にこの説明がなくとも、東京をはじめ大都市の人間関係の希薄さは
共通認識というか、そう言うものだと捉えられているものだから今更なんだが。

ただ、この後に湯布院で開催される映画際に言及している点がとてもこの映画に
ふさわしいと勝手に思った。

地域のブランド力とは、土地固有の価値であると同時に、他所からの評価である。だから、町の『内』と『外』の呼吸が重要なわけです。こういう動きを本当の風景というのでしょう。景観は単に見える景色ですが、『風景』は生命を表現しています。


『風景』は生命を表現している。

この映画のロケーションは恐らく芝地区をはじめ江東区の古い町並みと高層マンション群あたりと推測するんだけど、映像がとにかく『風景』なわけです。

いわゆる『風景』。

有楽町線(新木場にでる瞬間)とか臨海線のっているとこの地域の無機質ぶりに驚くのだけど、この映画その中でちゃんと命あるモノをちゃんと表現している。

空っぽの孤独な人間と心をもった空気人形。

吉野弘の『生命は』より

生命は
自分自身だけでは完結できないようにつくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫が風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする
生命は
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ
世界は多分
他者の総和
しかし
互いに欠如を満たすなどは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときにうとましく思うことさえも許されている間柄
そのように
世界がゆるやかに構成されているのはなぜ?
花が咲いている
すぐ近くまで
虻の姿をした他者が
光をまとって飛んできている

私も あるとき
誰かのためだけの虻だったろう

あなたも あるとき
私のためのかぜだったかもしれない


とその風景をと遠巻きに撮影される風景でぺさんがこの詩を朗読する。

映画全体として観るとんーと思いもするが、カットごとにとても
すばらしく何か満たされるものがある。

原作ありで脚本書くとはめずらしいと思ったし、何よりこのストーリー
で2時間ものってどういうモノなのだろっと興味津々でいったわけだが
よかったです。是枝監督っぽくもあり、なくもあり。

ファンタスティックでポエトリー。
都会の孤独をうとましく思う方にはお勧めです。

世界は多分
他者の総和
しかし
互いに欠如を満たすなどは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときにうとましく思うことさえも許されている間柄


この部分は孤独という概念のある意味でのテーゼだろうと思う。

2009年9月23日水曜日

The Limits of Control

リミッツオブコントロールを観た@バウス

個人的には短編っぽい作り方なのだから、もっと短くして欲しかった。

という感想だけ書いておく。

スペインいいな。

セビリアいいな。ジャームッシュがスペインってのがあり得ない。

個人的には
クリストファー・ドイルやはりいい仕事したなと思う。

あとはパス・デ・ラ・ウエルタ。イーサンホークの『チェルシーホテル』以来でみた。やはりよい。
他の俳優陣は主役のイザック抜かせば、惜しみないちょい役だからなんともいえない。ここ2作のビルマーレーの使い方にくいよね。

イザックはなんかラースの『マンダレイ』の役がこびりついて離れなかった。

感想述べろと言われても難しい。ワンシーンワンシーンでおもしろいなぁとかいいなと思うところは沢山あるけれど。

ということで終了。

Dialog in The Dark


Dialog in The Dark行ってきました。

ちょっと高いけど、とてもよかったです。
ドイツっぽいというか、まさにドイツですね。

何がよかったっていうと、いかに視覚に頼っているかがわかるところ。
そして、唯一完璧に100%の純度でなくすことのできる感覚。

だから、他の感覚に全てを委ねるのだけど、突然他の感覚が、いかに普段眠っているかをたった60分暗闇にいるだけで実感できてしまう。

嗅覚も触覚も聴覚も視覚がないだけで、こうも違うかとかなり驚いた。

よくTVなんかでボックスの中身を当てるとか、目隠しした状態で何を食べているかをあてる企画があるけどあの感覚。

暗闇の概念がかなり変わる。ある意味で盲目になる準備ができた。
本当に盲目になったら・・・だけど、絶望するほどでもないのかもしれないと本当に思った。

記憶やイメージ。視覚というのはすごいなぁと改めて思った反面、この感覚がなければ世界はもっと違って見えるのかななんて思いました。

これはお金払ってでも行く価値が十分にあるので是非行ってみてください。

同じグループになった女性グループは、その中の1人への誕生日プレゼントだといっていたけど、かなりセンスのいいプレゼントだと思う。

お勧めは仲違いしている友人、家族、恋人といくこと(笑)
個人的にやってみたい。

大地の芸術祭





大地の芸術祭。にいってきた。

実態がなんなのかわからずに誘われるがままに。
確かにいろいろリサーチをしてからいってもよかったなとも思うのだけど
こういうのは、基本的よくわからないまま行ったほうがよい。

新潟県十日町近辺で開催されているわけだけど、半径20kmに数百と点在
するアート作品があるので一日ではまず全て観るのは不可能。

ということで、足早に数点を見るに留まった。
ただ、今回はというかいつもだけど、アートそれ自体を見るつもりは毛頭なく
、それも変な話だけど・・・とにかくどのように運営されているかがあくまで興味の中心。

福武氏恐るべしというか。
いっちゃ悪いが何の変哲もないこの地に国内外問わずアート作品を集めるその実力はさすがと言うほかない。

ここでとにかく重要なのはこの町だけではこの規模のものは集まるはずがなく、そして新潟県の作家を集めたってこんなにおもしろいものはつくれないということ。

表現としてのアートというよりはどちらかというと目的あってのものだから
ある意味純粋な枠組みの芸術というよりは、どちらかというとデザインに近い感覚なのかもしない。

アーティストの性分とか本質とかそう言うのはさておき、受け取る側にはどうなのかというところを書いていく。

今回素直に思ったのは十日町エリアいいところだなぁと言うところ。
何の変哲もないただの農村なんだけれど、でもそのよさは十分にわかった気がする。
このアートイベントが何で、どういったことを意味するかということよりもずっと大切なことだと思う。

というのも、すでに一緒にいった方が書いているけど“どこかにアートがあるかわからなず、あんでもそう見えてしまう”という感じ。

感覚的にどんな物でも、それっぽく見えてしまうというのが意図してかしてないか別として


セントルイスからシカゴまでの道のりは大きなハイウェイで行くのだけど、その横にはルート66が昔のまま残っている。

“残っている”といっても全て残っているわけではなく、点在している。

どこかで切れて、また突然現れるという感覚。

それに似ている。現れてはなくなりの繰り返し、ただ標識や看板を目印に探して行く。
あのドキドキに近い。

それで思うのだけど、やっぱりロケーションありきということ。
米どころでもあるこの土地は山に囲まれている。だから平野の田んぼではなく棚田がほとんど。ランドスケープがとにかく美しい。

そういった中に突然アートが現れる。廃校や廃屋、田んぼのど真ん中に。

全てを観たわけでもなく、ほんの一握りの作品しか観れなくても満足感がある。
アートというよりもデザイン的一面がとても強いように思える。というのも作品の多くがとても示唆的というか、この村の歴史やなんであるかを題材にしていたように思う。

別の過疎の町で、土地の人と話したことがあって“結局こういう過疎の町では、自分たち(その町について)について知ろうともしないし、興味もない”と嘆いていたのを思い出した。

でも、果たしてそうなのか。

確かに知ろうとしない、興味を持たないというのはそうなのかもしれないけれど、知るきっかけを誰も示せていないだけではと思う。

多くの町で思うのだけど、そこに存在した歴史というのは案外部外者にとってみればおもしろいもので(こう思うのは自分だけかもしれないが)、そういうのを何かで示せたらいいなといつも思う。

伝統文化も廃れた町も全て、人々が何かに気づくときには、多くの場合は手遅れになった後のことが多い。

伝えることのできる人が年を取り過ぎていたり、すでに亡くなっていて資料や現物しかなかったり。

当然、多くの問題となるのは地域の人の関わりなのだけど。まず、自分たちが気づかない限り外から来た人がどうしたって何も変えることも、本質的なよさも伝えられない。

だからこのイベントでとにかくうまいなぁと思ったのはそういうのを地元の人にも示唆できるものが沢山あったこと。地域の参加レベルは残念ながらといところだけど直島なんかより見せ方はうまいなと思った。

そして、なにより福武氏なんだけど、すごいなと思わせるのはメディア露出と協賛に関わっている企業の多さ。

このイベントの知名度なんてメディア露出したところで大したことないし、そういう情報がリーチしている都会の“アートな人”からすれば「へー」ってところかもしれないけど、地域の人にとっては自分たちの町が取り上げられることってうれしいことじゃないかなと。(しかもこういったものがなければ全国的にフォーカスされる町ではないことを考えれば)

こうやってブログで書く人もいるだろうし、興味を持つか、持たないかはともかくとして知覚する可能性が広がるわけだし。

結局、一緒に行った人は、自分も含め↓がとても気に入っていた。
最後の教室
クリスチャン・ボルタンスキー+ジャン・カルマン







なんか、高校の文化祭の展示を思い出す。
【少年の部屋】

2009年8月23日日曜日

The Big Pink - Velvet



The Big Pink

My Space
Official
Blog

サマソニで観てきました。
一言で言えばもったいない。主催者側のミスだ。
The Big Pinkを昼過ぎにやるのはどう考えてもないと思う。


Too Young To Loveがベストソングになるのかなぁとか思って会場に行ったら
まさかの一発目(笑)


で、ベストソングはVelvet

始まりはものすっごいノイズなのだけど、なぜか突然泣きが入る。この夏のベストソング。
あぁでも、夜に観たかった、そして聴きたかった。

とにかく、Jack Penateとかもそうなんだけどサマソの扱いひどくないか。


Welcome: The Big Pink – 3 New Mp3s + All tracks, Videos, and Tour Info at earmilk

色即是空と文科系男子の憂鬱



色即ぜねれいしょん
田口トモロヲ監督×みうらじゅん

アイデン アンド ティティを観てないから、この監督のことよく知らないのだが
勢いで『色即ぜねれいしょん』観てみた。

劇中写真はBCCKSでチェック『Shikisoku.jp

文科系男子の憂鬱。
このテーマは共感できる人は結構おおいのではないかと思う。

岸田の役どころは笑えた。リリーフランキーの父親役もよい。峯田はそのまま。
特筆すべきは主演の渡辺大知はとてもよかった。

男同士で観た方が盛り上がる。

中流に生まれた、幸せな悲劇。

劇中に「何も悩みがないのが、悩み」っていうのがあるけれど
その感じよくわかる。ぐれる理由もなく、何かに怒りを覚えることもなく
ありあまる若さとパワーを内に秘めながら過ごす何も起こらない日々。

ぐれる理由がないってのは本当におもしろいセリフだよなと思う。
別にヤンキーがカッコいいとも思っていなかったけど、悲劇だよな。

いまってどうなってるんだろう。
今の高校生とかは。

確かに今の20代の高校時代ってのも格差ってあったけど、メディアで
『格差社会』なんて叫んでなかった。

ちょっとグレているやつだって、格差の中の低層にいたわけでもなかったし。
本当にぐれちゃったやつらにはそういう現実が確かにあったのかもしれない。

高校時代ってそもそもグレているやつがいないというか、中学と違ってある程度
レベルも画一的だったしよくわからない。

でも、この映画でわかるのはありあまる力を何に使えばいいのかわからなかった
こととだと思う。

タナダユキ監督の『俺たちに明日はないっす』とかもそうなんだけどここら辺の映画はもう観ては行けないのではないかと最近思っている。

実際、『俺たちに~』は観なかったし。
脚本が『色即』も『俺たちに~』も向井康介って時点でもういいでしょとか思ってしまう。

まぁでも中高生はハリーポッターとか観てないでこれを観て旅に出るべきだと思うけど。

時代設定は70年代なのだけど
劇中で佐渡島ユースが出てくる。主人公たちはフリーセックスがそこにあると妄信する。

オフィッシャルHPに『いかへん?ユースの旅』というのがあるけれど、劇中にあるような光景がそこにあるわけではないと思うけど。

『色即がユースに行けばある』は恐らく間違い。

桃岩荘ユース、礼文島ここならあの世界がまだあるかもしれない。

セントアンナの奇跡とスパイクの謎

セントアンナの奇跡

スパイク・リー

久々に重厚な作品を撮ったスパイク・リー。
ただ、この戦争という大河もの。トレーラーの時点でうわっと思ったけれど
案の定、個人的には金返せ系でした。

スパイク・リーのAAソサエティを描き続ける姿勢は好きだし、
白人社会に対してウィットなジョークを飛ばせる人は数少ない。

マイノリティーだからこそ、作風も好き。

でも、WW2と現状を比べて、黒人部隊がいました。差別されていました。
現状を見てどうですかというようなメッセージはもう要らないのではないか。

当然、そう言う史実があって、今があると思うし。
そう言うのは伝え残していくことは重要なことだと思う。

この類の映画は例えば『シンドラーのリスト』を撮ったスピルバーグにも言えるけど
、現状にも目を向けるべきだと思う。

ユダヤ系社会の今に目を向けるべきだし、スピルバーグは死ぬ前に撮るべきだと思う。

スパイク・リーも同じでNYCのハーレムを占拠し始める非黒人社会をとってもいいはず。
当然、今も昔も変わらず差別は続いているだろうが、人類の移動はもう違う段階にきている
ように思う。

この映画はちょっと残念でした。
新境地なんだろうけど、テーマは変わらず議場を移しただけのようにしか思えなかった。